10歳で学校を辞めたボクのその後.

2025年 7月10日、10歳になる誕生日の前日にボクは「ボクはもう学校なんかにいかない。学校はもう退める。」と父さんに宣言した。これで明日の誕生日は学校から解放されて自由に過ごせる。ところが、父さんとボクは少しもめた。

Prologue : 人生をやり直せるなら、何歳に戻って何をしたくなるだろうか。誰もが一度はそう考える。本ブログの著者である私の場合「本ブログの執筆を始めた2025年から始まる現在の生活環境を維持したまま 10歳に戻り、毎日気ままに暮らしたい」である。実際には私が10歳児になることなどいまさら不可能なので、本ブログでは、10歳に戻った私を主人公「ボク」に見立て、2025年現在の日本で生活することを想定しながら、ボクの感情・経験・成長を描く。では、本編をお楽しみあれ!

「学校を退める?あなたは自分が何を言ってるのかわかっていますか?いませんか。」

「もちろんわかっているよ。学校にはもういかないってことだよ。」

「ふうん、日本国憲法に出てくる『国民の3大義務』を知っていますか。」

「もちろん。教育の義務・労働の義務・納税の義務の3つさ。」

「それではまず、教育の義務についてはどう考えますか。あなたはまだ義務教育の半分も終えてないよ?」

「教育の義務というのは、子どもに教育を受けさせる義務が保護者にあるということだよね。ボクの保護者は父さんだ。ボクじゃない。ボクには何の義務もない。ましてや学校にいく義務なんて誰にもない。」

しまった! この若さでタブレットコンピュータなんか買い与えたから、知恵がついたか。

話は 2022年3月に遡る。「私」こと荒川大樹が、まだ数えで7歳だった「ボク」こと荒川智哉に就学祝いとしてタブレットコンピュータを買い与えた。その理由は、智哉の質問の多くにインターネットが答えてくれるから。私は新品のタブレットを智哉に与えると、オフラインでも使える電子辞書アプリをインストールしたのち、ウェブその他で通信する方法を智哉に教えた。智哉はこの贈り物を気に入ったようだった。

「父さん、これ、ゲームもできるの?できるよね。」

「ゲームかぁ …… 」

「やっちゃだめなの?」

しばらく考えてから私は答えた。

「やってもいいけど、許可なくやっていいのは無料のものだけだ。有料のゲームが欲しくなったら私に相談してくれ。それと、ゲームは1日1時間までだ。」1時間は7歳児には長い。それだけの時間があれば十分だろう。智哉は同意した。

話を現在に戻そう。

「学校をいつ退めたいんだ?」

「すぐ。」

「明日からはもう学校にいかないつもりか?」

「うん、そのつもり。」

智哉は教育の義務を正しく理解している。とはいえ、彼が家に独りでいて暇を持て余してもロクなことがなさそうだ。私は再び長考し、学校を退めるにあたって、条件を設けることにした。

「条件が3つある。その1、明日、7月11日は学校にいって、友達に学校を退めると報告すること。学校にいかなくなるのは 7月12日からだ。その2、毎日早起きして家事を必ず何かやること。その3、学校で習うことは自宅・街中・自然環境のどこかで勉強すること。なお、条件はあとで増えるかもしれない。」

「その1はいいとして、その2はなぜ?」

「家事ができると大きな自由が手に入る。家事ができないと生存能力が乏しいままで終わり、自由なんかほとんどない。それが理由だ。簡単な料理と、掃除・洗濯くらいはできるようになっておきなさい。」

「……うん、わかった。じゃぁその3は?」

「学校で習うことは、みんながいつか知ることだ。あなただけがそれを知らないと何かと損をするのだよ。例えば、スポーツのルールとか英語の基礎だ。『みーんな知ってるのにオマエ知らないのかよ(笑)』とか言われたくないだろう?」

「まあね。」

「心配はいらない。独りで考えても、ネットで調べてもわからないことは、中学卒業レベルまでなら、私に質問すればきっと教えてあげられるからね。」

 私は智哉に国民の義務について問い続けた。

「労働の義務についてはどう考える?」

「そんな義務はないよ。子供・高齢者・専業主婦、それから病人も怪我人も労働しないもの。労働しないからって罰せられることはないよね。」

「確かにそのとおり。じゃぁ納税の義務は?」

「その義務もない。稼ぎの少ない人は税金を払わないもの。これも罰則はない。つまりね、日本人には義務なんかないの。兵役の義務がない日本では、人はみーんなみんな自由なの。」

「そのとおり。よくぞそこまで学んだな。」

「タブレットをどうもありがとう。」

そう言って智哉はニンマリと笑った。

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